収奪の季節
風は涼しくなり、雨が冷たくなり、夜は長くなり、夏は段階的に消え去り、秋へと時間が流れていく今日この頃となりました。
秋は過ごしやすい季節であり、あらゆる生命が縮こまる冬に向けて備える季節でもあります。この備えは屋外での運動や屋内での勉学、栄養補給など、自らの精神や身体を充実させる行為へと向けられます。このためには、夏の間に成長した外的なものを収奪する必要があります。
旺盛な季節に蓄えられた生を、生温い空気の中で取り上げなければなりません。
夏の終わりはこの残虐性を肯定します。
あらゆる生は夏の終わりの中で倦み、自らの生に退屈を覚え、自らの生を思索し、その終わりとしての快楽を最大化するように願うのですから。
したがって、その願いは各々の合意として総括され、収奪の季節にそれらは死として永遠に回収されるのです。
死は暴力的なほど甘美です。
そこに誘われれば、人は、あらゆる生は、どんな罪だって喜んで犯します。
だからこそ、青春のそのときに死を感ずる人は、その感受性から強烈に死へ惹かれ、夏の終わりと収奪の秋が許容する残虐性に手を伸ばし、永遠に変わらない存在を手にしようとするのです。
今回は、そんな夏の終わりが許容する、甘美なる永遠としての死を描く「酸欠天使文學ちゃん」を紹介させていただきます!
https://youtu.be/_yALAY288o8?si=Mn9jcATgUQBl3H1y
死。その終末的な美と永遠性「酸欠天使文學ちゃん」
「酸欠天使文學ちゃん」は1つの音楽的世界であり、1つの物語であり、1つの清純な残虐性と美しさを持つ音楽プロジェクトです。
その音楽性は、ノイズロック・シューゲイザーを基調とし、ハイパーポップやアンビエント、エモやインディーロックなどの多様なジャンルを織り交ぜたものとなっています。 そして、インターネット美学的(アナログホラーやcorecoreなど)な要素がエフェクトや歌詞として加わることで、不気味でありながらも懐かしく美しいという性質が楽曲にもたらされます。
こうして楽曲に付与される属性は、「酸欠天使文學ちゃん」がそのコンセプトとして描こうとしている、死に紐づけられた美をありありと示しています。
それは、菫色の空と涼しい晩夏の風に漂う爽やかな青春惨劇です。
音楽的な面に戻ると、「酸欠天使文學ちゃん」の多くの楽曲は、ノイズロックのような難解なジャンル上に成り立っています。
ただし、この特徴は聴き手を拒絶するものではありません。
「酸欠天使文學ちゃん」の楽曲には、難解で複雑な面も実際にはありますが、それを上回る良質なメロディとリズムを持っています。
夏の終わりが許容する惨たらしい収奪とそれをもたらす死という甘美な衝動。
「酸欠天使文學ちゃん」はこの美しき惨劇を、複雑性と難解性を内包しつつ、これらを超越したポップソングによって描いているのです。
そして、その景色は「心療外科」というコンセプトアルバムに詰め込まれています。 今回は「心療外科」からおすすめの曲を2曲紹介させていただきます。
https://eneiongaku.bandcamp.com/album/–8
えんかん
ポップロックとハイパーポップが、ノイズの中で調和した楽曲です。
体がつい動いてしまうハイパーポップのリズムとリフ、ポップロックを彷彿とさせるメロディアスなギターによるイントロから曲は始まり、この上に寂し気な歌唱が載ります。イントロだけ切り出せば、いわゆるボカロの楽曲のように思えてしまいます。
ですが、その後には、音飛びやグリッチノイズなどのエフェクトが掛かり、不穏な低音が混じり、アナログホラー的な要素が加わっていきます。そして、これらがもたらす不穏な空気を纏いながら、サビへと突入します。
サビはいわゆるハイパーポップの展開であり、不穏な要素はありません。
ただし、サビが終わるとポップスとしての側面は段々と崩壊していき、楽曲全体を切断するような高速再生、音量の急激な低下、くぐもった低音、憎悪を叫ぶかのようなシャウトが入り混じり、二度目のサビへと突入します。
二回目のサビは、一回目とは異なり、その勢いを止めるように音数が急激減少、そうかと思えば再び元の音へと回帰する展開が盛り込まれます。そして、曲の終わりへと向かっていく最中では、突然の高速再生やシャウト、音の分断、ノイズなどが混じり、カオスでありながら不穏な空気を残し、「えんかん」は終わります。
「えんかん」は、ハイパーポップ的なループを楽曲構造としてもっています。
ですが、その音楽的なループはノイズやエフェクトによって崩され、ところどころ欠損したものとなっています。
これが如実に表れているのが、サビの展開です。
一度目のサビは、通常のポップソングのような聴きやすくて口ずさめる展開でしたが、二度目のサビとそのあとの展開は、ポップソングとしてはメロディの勢いが殺されるような展開になっています。
この同じことが繰り返されない楽曲展開。
それは、円環として繰り返される夏の日々が、一つの惨劇を前にして崩れ落ち、その崩壊の中で自らの精神も崩れ、けれども決して前の円環には戻れないことを悦びとして享受する物語性を表現しているようです。
「えんかん」では、一つの生活的・精神活動的な循環が破綻していくさまと、その美しき過程が克明に描かれています。
https://youtu.be/w-PvztPDqFw?si=eCQHVa1hrZZ7zxsc
心療外科
ノイズとその中で奏でられる爽やかなエモを味わえる楽曲です。
けたたましいノイズ、爽やかなエモを感じさせるギターのコードストロークが特徴的なイントロから楽曲は始まります。
楽曲の展開に従って、ノイズは耳に馴染み、爽やかなギターが前に押し出される。 ここにリズム隊が合流し、暴力的なノイズの中で物悲しい青春を感じさせるバンドサウンドが展開されます。
そうして、リズム隊が一度動きを止め、ギターのクリーンサウンドが晩夏の風を感じさせるリフをノイズの中で独り奏でる。動き回るベースがここに合流、ふたたびダイナミックなバンドサウンドが展開される。
耳をつんざくようなノイズとバンドサウンドの怒涛は、寂しげなポエトリーリーディングとともに奏でられる。曲の終わりにバンド演奏は前触れなく止まり、水しぶきのようなノイズと消え入りそうな声を残す。
そうして、それらの残響が空間に消えてなくなると同時に「心療外科」は終わる。
「心療外科」は楽曲全体が凶暴なノイズに覆われていながらも、その奥ではエモを彷彿とさせる爽やかなバンドサウンドが奏でられている楽曲です。
そこには、残虐なる行為とそれを実行するだけの道具を手にして、惨たらしい罪へと身を堕とすことの焦燥が描かれています。
晩夏の菫空、鞄の中でカタカタと鳴る凶器、頬を摩る涼風、緊張と興奮で汗ばむ体、惨劇の実行と特別な死の成就、閉ざされた青春の円満なる解決と美しき幕引き。 未完成な脳は、暴力というノイズに浸され、永遠としての死を、ただの美なるものとして望み、それを手にしようと、体は自転車とともに海を望む神社へ向かう。
「心療外科」では、そんな物語が抒情的なノイズとともに描かれています。
そして、内科的な服薬やカウンセリングだけでは克服できない、甘美なる死への誘いを暴力という外的な手段によって解決しようとする爽やかなざらつきがこの物語には含まれています。
https://youtu.be/dDx6Lwwc1oM?si=E9noGCIz1e0rRdJt
道先案内
「酸欠天使文學ちゃん」は、暴力的でありながらも爽やかで快い惨劇を描いています。
そこで繰り広げられる行為と精神的な葛藤、これらを内包する晩夏の倦んだ生温い空気が、「心療外科」というコンセプトアルバムの中で克明に表現されています。
ノイズに満ち溢れるこの物語には、明るい側面も爽やかな側面もあり、決して飽きることがありません。
今回、紹介させていただいた2曲はその物語の一部でしかなく、物語全体は広大であり、無秩序であり、極めて美しいです。
「酸欠天使文學ちゃん」を、その物語である「心療外科」をぜひフルで聴いてみてください!
https://www.youtube.com/@sxxxnketsu
https://open.spotify.com/artist/5YOv9DZ7eEBUiXM6pH1CGJ?si=EwWAxOwCREGTRSlZ1Leh0Q
https://music.apple.com/jp/artist/%E9%85%B8%E6%AC%A0%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E6%96%87%E5%AD%B8%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93/1815493858
https://eneiongaku.bandcamp.com/album/–8?action=buy&from=embed
https://soundcloud.com/sxxxnketsu