前書き
はじめて楽器を自分の意思から手にしたとき、どのような感覚を抱いたか覚えていますか? あるいは、はじめて特別な買い物をして、それを初めて使った時の感覚を覚えていますか?
やっと手に入れた大切な「何か」を初めて使うとき、そこにはすさまじい緊張と悦楽とがあったはずです。
しかし、そんな経験も時を経るごとに薄れていき、日常に溶け込んでしまいます。 鮮やかな色彩と刺激を与えてくれていた「物」は、色褪せた「物」に成り、また新しい刺激を得ようと新しい「何か」を手に取ろうとします。そうなれば、初めて手に入れた「物」は埃を被り、経験の原点として遠ざかっていきます。
始まりが遠退く。
それは成長の証であると同時に、衝動の希釈です。 希釈された衝動は歩むべき道を——なりたかった自分を——薄れさせます。 だから、時折道を振り返って、自らの歩む道を捉え続けることが必要です。
今回は、そんな初期衝動を思い起こさせてくれるバンド「罅」を紹介させていただきます。
忘れかけていた衝動「罅」
「罅」の音楽は、忘れていた青い日々を思い起こさせてくれます。
それは高校受験の記憶であり、高校初日の緊張感であり、部活動に対する失望感であり、クラスメイトに抱く疎外感であり、特定の音楽に対する偏執的な愛着であり、手の届かなかったあの子への恋慕であり、鬱屈としてうだつの上がらない日々に対する嫌悪と憎悪であり、意図せずとも進んでいく日々への苛立ちです。
そこに通底するのは、不器用にもがくことしか許されない少年少女らの生きづらさです。
高校受験(あるいは中学受験)によるストレスにより、外殻を破って表れた自我。
やりたくもない勉強、新しい人間関係、どうでもよい社交辞令、増長するだけで止め方がわからない性によって、それは傷つけられ、抑圧から逃れようとするも、肉体的・時間的・空間的制約によって封じ込めれてしまう。
多感すぎる時期に訪れる心の歪みと希求。
「罅」のギター、ベース、ドラムで構成されるオルタナサウンドは、誰もが経験しながらも忘れてしまった苦しみと希望を描き出してくれます。
そんな夜のように青くて、けれども木漏れ日の様に暖かく輝いている楽曲から2曲紹介させていただきます。
おすすめ曲
導いてくれ
潰れたギターの轟音が夕闇の海辺を描きだす。
緩やかな海の波に通り過ぎる車のヘッドライドが乱反射して深い闇を嫌に照らし出す。 無意味な事象にさえ反応してしまう多感な心は沈んでいるのにもかかわらず、社会はこれを無視して進み続ける。
求める静かな場所を奪われた心は、成すすべなく海を眺め、湿った海風にあたって、微かな感傷と強烈な苛立ちを抱く。
耳を塞いで音を遮断することも、目を閉じて光を拒絶することも、あらゆる情報の遮断を拒絶されている空間において、多感な心はひっそりと、けれども確実に傷つき、行き場を無くして、一寸先さえわからない暗闇を「歩め」と強制される。
だからこそ、道が見えるように、まだ未確定な道を歩めるように、誰かに明かりをつけてもらおうと縋る。けれども、残酷な現実はそれを許さない。自分で自分の道を見つけろと、傷ついた心に要請する。
真っ黒な海と、白む波、そこに反射する社会の光。 行き場ないのにもかかわらず、立ち止まることさえ許されない多感な心に沸き立つ苛立ちと、静かなる慟哭。
この楽曲にはそんなやり場のない心の痛みと叫びが滲んでいます。
https://youtu.be/f_bDTLpepzg?si=BXU_HbL0Jh2tm7w5
Purkinje
「Purkinje」をカタカナ表記にすると「プルキンエ」になります。 この「プルキンエ」という語は、脳細胞や生理現象につけられており、19世紀に活躍したチェコの解剖学者・生理学者のヤン・エヴァンゲリスタ・プルキンエの名前を由来としています。
このプルキンエ氏が発見した事柄の中で最も身近なものは、プルキンエ現象だと思います。
プルキンエ現象は、暗い場所では赤色より青色の方が明るく見えるという現象です。
それはいつ何時も変わりません。 たとえ、花火が打ち上がる晩夏の夜においても。
同じ花火でも、青色の火花の方が鮮やかに見えます。 何もできない癖に大切な人のために何かしようとして、失敗してしまった夜でも、青色は鮮やかに輝き、踏みにじられて傷ついた心を照らします。
瞬きの煌めきに照らされた傷は、体から力を奪い去る。
呆然と立ち尽くす瞼の裏には、自らの青い姿が克明に描き出される。 体は硝煙を含んだ生温い夏風に包み込まれる。
青くて、悔しくて、何もできない無力さ。 忘れてしまったあのときの後悔という衝動を「Purkinje」の寂しげな轟音から感じられます。
https://youtu.be/ddn7XTHG1Vk?si=6XRwon4ag0eBfhQV
道先案内
「罅」は純粋なオルタナバンドとしてめちゃくちゃにカッコよいです。
楽曲には忘れてしまった思春期の衝動を想起させる哀愁が漂い、その音楽性は感情を背負っています。
楽曲は誰しもの胸に、いつか経験した忘れてはいけない時間を描き出します。
メロディと歌詞の相性が素晴らしく、メランコリックさと親しみやすさを両立した音楽的・言語的な調和は、「罅」にしか出せない美しさを創出し、そこに聴いている人すべてを誘ってくれます。
美しく、懐かしく、素晴らしく愛おしいあの頃の衝動をどうか味わって下さい。
https://www.youtube.com/channel/UCKuz6hWMt32MgQIpTounOyw
余力があれば
「GUITAR」というアルバムを通しで聴いてみてください。 青春の敗北と、それでも立ち上がって前に進んでいた懐かしき日々が美しく表現されていて、映画を1本観たような感覚を抱きます。 本当に良いのでぜひ。
https://youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nTiQesg00M7ZWiNDbq5rLHZDSHe1Cl4T0&si=futHLpS9R5HsTM5M