不確かなものとしての愛
愛は不可視であり、不可触であり、不確かなものです。
愛を証明しようとするならば、それは相手を試す行為となり、相手の尊厳を毀損するものとなります。試し行為が成功したとしても、相手を試そうとした自らの醜悪さを呪い、自分自身を傷つけてしまいます。
だからこそ、愛は証明できず、証明すること自体が罪となり罰となるのです。
愛は不確かなものです。
愛が決定的なひとつの像をもたらすことはありえません。
愛は多義的なものであり、個人個人の人生において、まったく異なる関係として現れます。そのため、ある人が愛だと感じている関係は、ある人にとってはまったく馬鹿馬鹿しく思え、また別の人からすれば素晴らしい関係だと思えてしまうのです。
ただし、愛という関係に通底しているのは、当事者にとってその関係が世界の中心になっているということです。
それぞれの主観によって成り立つ関係を共有する者たちにとって、それが現実的に愚かしくとも、喜ばしくとも、虚しくとも、充実していたとしても、それらは世界の中心を成す大切な関係なのです。
今回は、そんな多義的な関係である愛を美しい音楽によって表現する「宇宙ネコ子」を紹介させていただきます!
https://youtu.be/HVG5IqZWZ6Y?si=AJP1U_5Rro5nz2eg
暖かく、優しく、柔らかく、愛を奏でる「宇宙ネコ子」
「宇宙ネコ子」は、日本のオルタナティブロックバンドです。
「宇宙ネコ子」の音楽性は、ジャキジャキとしたオルタナらしいギターサウンドを中心に、陶酔感あふれるシューゲイザー・ドリームポップ的なサウンド、空間を漂っている感覚をもたらすアンビエントやエレクトロ的なサウンドを組み合わせた複合的なものです。
無数のジャンルを横断した楽曲には、オルタナのヒリヒリとしたざらついたカッコよさがありながらも、生活の中にある柔らかな愛おしさと、悲しんだときにもたらされる憂鬱が含まれています。
そして、人間の感情を表現したサウンドの中では、清らかな天使を彷彿とさせる優しい歌声が響いています。歌声は楽曲が内包する無数の感情を柔らかく包み、バンドサウンドの持つ複雑な美しさ(あるいは愛)に丸みをもたらしています。
歌声と調和するバンドの旋律は、あらゆる人間関係に基づく生活に根付いたものとなります。
そして、その音色は、痛ましくも愛おしい経験を重ね、その傷を必死に癒そうとしてきた実直な人々の胸に、優しく響きます。
https://youtu.be/dASNj1McIyM?si=ofg_nbu8AYD55srR
君のように生きれたら
ざらざらとしたオルタナサウンドと、その中に響く柔らかな歌声が味わえる楽曲です。
イントロでは、クリーンなギターによって暖かなリフが奏でられ、その温もりを引き立てるようにざらついたギターがリズムを刻みます。そして、アンビエントを感じさせる電子音が、薄日がぼんやりと地上を照らすように、この調和を包み込んでいます。
Aメロでは、この調和が、シンプルなドラムによってさらに美しく引き立てられます。それは曇り空の中に溶け込む陽光のような優しさをもたらしつつ、秋口の少し湿った生温さというざらつきを想起させます。そして、光と温度と湿度を感じさせる旋律は、優しいギターリフを中心に展開されていきます。
サビでは、ギターが歪み、荒々しいパワーコードを奏でます。2本のギターがもたらすざらつきは、決して暴力的なものではなく、古いフィルム映画のフラッシュグレアのような、穏やかな光景に挿し込まれる抒情的な歪みです。不器用に構築された懐かしさを覚えさせる映像の調和は、暖かな白い光によって覆われることで崩れ、その一瞬の崩壊のために調和は強調され、そこに描き出される光景の美しさはより引き立てられます。この映像でもたらされる効果は、オルタナ的なざらついた音を奏でる2本のギターによって本楽曲にも再現されています。
イントロとAメロでもたらした調和は、サビの歪みによって反抗的な美しさを帯び、その美学を保ったまま楽曲はBメロへと展開されます。Bメロでは、歪んでざらついたギターがリフを奏で、空間的な響きを持つギターがコードの豊かな響きによってこのリフを包み込みます。そして、コードがもたらす残響に合わせ、アンビエント的な電子音がひっそりと奏でられます。サビから持続する歪みを帯びた2本のギターは、ボーカルの清らかな歌声を引き立てると同時に、楽曲全体にオルタナティブロックの質感をもたらします。この質感によって、リフが持つ温かな響きには無償の温もりだけではなく、ある程度の歳月を経て、酸いも甘いも経験したことで獲得した有償の温もりが含まれます。そして、この有償の温もりを帯びたオルタナサウンドが、楽曲を2度目のサビへと推し進めます。
2度目のサビとアウトロでは歪んだギターサウンドとこれを支えるシンプルなドラム、そして清廉さと愛おしさの双方を含んだボーカルの歌声が調和し、柔らかさとざらつきが両立された状態で楽曲は締めくくられます。
楽曲全体を包む柔らかさとざらつきが描き出す光景は、大人になろうと傷ついている人と、そんな人を素敵な存在として眺める子供の内面を持つ人とのすれ違いです。
大人になろうとして、無償の愛から有償の愛へと手を伸ばし、やっとそれを掴めたかと思ったら、何も掴めずに滑り落ちてしまった人。そんな人の横顔には、哀愁があり、美しさがあり、心に負った傷がもたらす深みがあります。これらは、無償の愛しか知らない人を惹きつけ、その傷をもたらした有償の愛という惨たらしい概念をその人に知らしめます。
ただし、知らされたその瞬間において、その人は有償の愛が持つ残虐さを知ることができません。
それを知るためには、子供の頃からずっと一緒にいるぬいぐるみのプラスチックかボタンの目が持つ輝きを手放す必要があるのですから。
「君のように生きれたら」では、そんな無償の愛から有償の愛を知る時期へと移り変わる瞬間——ひたすらに穏やかで柔らかな愛から残酷無比でざらついた暴力的な愛へ切り替わる瞬間——を描いている素敵な楽曲です。
https://youtu.be/ZCG4qJHw6u4?si=BBtmZy-VHfQvj1S7
部屋
爽やかなドラムと、キラキラとしたギターから始まる楽曲です。
イントロは、シンプルであるからこそ爽やかなドラムと、そのリズムの上できらきらとざらついたギターがリフを奏で、それを空間的な響きを持つ2本目のギターが包み込んでいます。歪んでざらついた輝き(金属光沢のような冷たい輝きではなく、雨の日の生温い陽光がもたらす少し湿った輝き)を持つギターが奏でるリフには心の隙間に募る寂しさが感じられます。これは、もう1本のギターが空間的なサウンドでコードを奏でることで、より強調されています。一方で、ドラムは爽やかな音を軽快に鳴らしています。このため、ギターとリズム隊の音の表情に差が生じます。これによって、楽曲を通して描こうとしている心模様の多層性と、かすかに苦く、かすかに甘い1つの感情がイントロの段階で表現されています。
きらきらとしたギター、空間的なギター、爽やかなドラム、それらを支えるシンプルなベース。これらが調和した美しいイントロは、その旋律の多層性を保ったまま、Aメロへと繋がります。
Aメロでは、雨空の落ち着いた光のようなリフを奏でるギターと、楽曲全体に奥行きをもたらすギターが、リズム隊の爽やかな演奏と組み合わさり、雨の日の孤独な部屋を微かな憂鬱を交えた青色で描き出します。ひとりぼっちの薄暗い部屋、そこに満たされる自分の香りと体温、それらは大切な人の香りと体温が傍にないことを証明しているかのようで、とてつもない不安に襲われてしまう。裏切られてしまうかもしれない。もう二度と戻ってきてくれないかもしれない。その予感は死の不安に匹敵してしまう。けれども、きらきらと輝く思い出(雨空の下ではなく、きっと秋晴れの清々しい日々)を言葉として頭の中で独り交換し合えば、たとえ傍に大切な人がいなくとも、心は微かに安らぐ。
健気な安らぎを奏でるAメロの壊れそうな美しさは、Bメロでより引き立てられます。Bメロでは、大切な人をひとりぼっちの部屋で待ち続けてしまうあどけない心持ちを、歪んだギターの抒情的なリフによって表現しています。無造作に触れればいとも簡単に壊れてしまいそうな旋律は、薄暗くて微かに冷たい部屋の中で渦巻く純粋な愛とそこに付随する邪な情を繊細に描いています。
Bメロで描かれるあどけない愛情とそこに渦巻く邪な感情は、サビの中で限りなく優しく称えられます。きらきらと歪んだギターが、愛おしさや寂しさの入り混じった多層的な感情を表現するリフを奏で、ジャキジャキとしたオルタナサウンドで憂いを含むコードを奏でるもう1本のギターとリズム隊がこのリフを支えます。そして、この調和の中で柔らかな歌声が響くことによって、愛がもたらした孤独による不安を称え(ほかの人から理解されることを拒否しているように。そして、その拒絶を肯定するかのように)、2人だけが知る、暴力的なまでに温い愛の空間を描き出しています。
そして、サビが終わった後の2度目のAメロでは、自分だけが大切な人を狂おしいほど待っている現実が描かれています。薄暗くて冷たい部屋の隅っこで、香りと体温が染みついた布団にうずくまるのは自分だけで、大切な人はほかの人と同じように外に出て、自分にはできない生活を送っている。そのことへの寂しさがこのパートでは描かれています。
続く2度目のBメロでは、大切な人に抱いている感情が本来的な愛なのかという疑念が描かれています。恋しくて仕方がない自分と、そうではないかもしれない大切な人。関係の齟齬が示そうとする悍ましい現実。本当は真実を知っているのに、知らないふりをし続けて、けれどもひとりぼっちの循環思考が真実を突き付けてくる残酷さが、愛おしく描かれています。
ただ、きらきらとしたサウンドとともに始まる2度目のサビは、それさえも祝福します。神様が見つけ出したとしても決して壊せない歪な関係性。2人が恋愛として認識している関係がもたらす強固な世界。真実を受容したとしても、知らないふりをし続ける。そんな、神様にさえ見捨てられた素敵な関係です。それらの関係を否定することなく、静かに受け入れることで祝福し、それが持続するように祈ってしまう。そんな愛おしいほど温かく、残酷なほどざらついたサウンドが、アウトロまで奏でられ続けます。
「部屋」は、愛の関係がもたらす歪さとそれをもたらす人間の多層的な感情、そしてそれらが織りなす美しくも残酷な世界を優しく描いています。
https://youtu.be/dQbt3VweGho?si=t2GMD0Z3WSYDgTXE
道先案内
「宇宙ネコ子」の楽曲は、いずれも清廉な美と柔らかさを持ちながらも、愛の持つざらつきや残酷さを表現しています。
そのため、楽曲の雰囲気として可愛らしさがあったとしても、そこには生活や人生の重みがあります。
だからこそ、「宇宙ネコ子」の楽曲はこれまで一生懸命に生きてきた人たちの心に寄り添い、その胸の中で静かに鳴っているのだと思います。
本当に素敵な楽曲ばかりなので、ぜひ聴いてみてください!
https://www.youtube.com/@shadylane2007/videos
https://open.spotify.com/artist/3xSs5iXfAy7FPN8cUqBEfm?si=PpSnsqZzSZmZYSN11lwyTA
https://music.apple.com/jp/artist/%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%83%8D%E3%82%B3%E5%AD%90/1134961372