初期衝動
若さゆえの無鉄砲、後先を考えない高揚。
これが初期衝動で、衝動を抱かせるのはあらゆる芸術(スポーツでも、音楽でも、映画でも、彫刻でも、電気回路でも、洗練された技術であればすべては芸術)です。
この語彙には、冷たい水の中に、水色の絵具が一滴垂れて、薄らと広がっていくような爽やかな光景。それは何にも染まっていない純真な心が、強烈な印象によって染め上げられる物語。
そんな純心な無知が印象を受け止めて成長する受動的な物語が、初期衝動という語彙には含まれている気がします。
しかし、生育環境や友人関係などから理性的な営みを信じられなくなってしまった場合において、この物語は発生しません。いえ、発生しないというより変質すると言った方が良いでしょう。
あらゆる物事の前提となる人間関係に不信を抱いてしまった場合、他者の理性は疑わしくなり、理性の上に成り立っている物事が噓らしく見えてしまいます。
だからこそ、自らの信じられるものだけを手にしようと、能動的で歪な初期衝動を不信の人は抱きます。
それは偏屈で無様な姿ですが、そこには普遍的な初期衝動と変わらない美しい輝きが込められています
今回はそんな能動的な初期衝動を感じさせるバンド「LAMB’S END」を紹介させていただきます!
https://youtu.be/-XsapNSvNPo?si=5eRTCxHSjMA3NA8j
真っすぐでひねくれた衝動「LAMB’S END」
「LAMB’S END」は日本のロックバンドです。
ジャンルとしてはエモ、シューゲイザーに分類されます。
エモ的な爽やかで切ないギター、スクリーモ的なシャウト、ハードコア的な激しさ、シューゲイザー的な轟音、それらを邦ロックに落とし込んだ音楽性を「LAMB’S END」は有しています。
「LAMB’S END」は複合的な音楽性と抒情的な歌詞によって、痛みを知っている人間が心の奥底に押し込んだ傷を真正面から描き切っています。
そのために、「LAMB’S END」の奏でる轟音は限りなく白い現実的なざらつきを含んでおり、非陶酔的な音とともに奏でられる乾いて歪んだアルペジオは胸を締め付ける寂しさを持っているのです。
「LAMB’S END」の楽曲で立ち上がる白い音の壁は感情の横溢であり、繊細な音の連なりはその複雑性であり、緩急が明瞭な展開は理性と情の葛藤です。
美しくも自壊しそうな瞬きの衝動と、衝動の前後に発生する心のざらつきが音と歌詞によって表現されているのです。
そこに、嘘偽りはありません。
身体と精神の実体験に基づいた感情の運動が、「LAMB’S END」の楽曲では描き出されています。そして、真正面から事実を包み隠さず描いているからこそ、「LAMB’S END」は鮮烈なる情動を印象としてもたらしてくれるのです。
https://youtu.be/jaocdREwXW0?si=t_GStMarh6ukpzzG
おすすめ曲
NEVER ENOUGH
歪んだ轟音が鳴り響く「LAMB’S END」の激しい演奏を味わえる楽曲です。
ギター、ベース、ドラム、ボーカル。
すべてが歪んだ音を力いっぱい爆音で奏でるイントロから始まります。 抑圧されている精神に募った鬱屈が暴発したようなイントロは、ギターリフが入る瞬間に静まり、その後の激しい楽曲展開にダイナミズムをもって接続されます。
そして、あらゆる身体的な力を注ぎ込んだような演奏の中、倦怠の中で言葉を吐き捨てるような歌が始まります。
歌が終わるとリズムを強調するように、エモ的なアルペジオが抑圧を感じさせる音によって奏でられます。燻る苛立ちを覚えさせるギターは、歪み切ったベースと組み合わさることでリズムを一層強調し、その勢いのままサビへと突入。
サビはそれまでより一層激しい音(グラインドコアのようなとてつもない力強さと憤りを感じさせる演奏)が奏でられ、音の壁にうずもれるように爽やかな歌声が載ります。
ただ、その歌声もサビ終わりに激情に飲まれて楽曲はシャウトと轟音とともに終わります。
このように展開される「NEVER ENOUGH」は、人の内側で湧き上がって心を抉っていく欲求不満の衝動と、それを暴力的な理性で抑圧しようと試みる人の情動が描かれています。
初期衝動が生み出した醜い承認欲求。 それは悪意によって毀損された傷からもたらされる。 理性でこれを捉えているからこそ、湧き上がってくる欲求と、欲求が見せてくる幻想、そしてそれに追従しない現実との差異に痛み悶える。 自分に実力がないという現実。 その現実を受け止めきれない醜い自分。 2つの認知の一方は現実を貶し、もう一方はそんな現実を貶す自分を傷つけて消し去ろうとする。 破滅的な抑圧は精神を否応なく傷つけて、声以前の慟哭をもたらす。 そこには言葉にならない怒り、憤り、憎しみ、悲しさがある。
「NEVER ENOUGH」では、そんな初期衝動がもたらした現実的な懊悩を真正面から描いています。
https://youtu.be/DGI7GBdxiKQ?si=jBrOh92nwA_6vM_H
Serotonin tail
切ないアルペジオを味わえる楽曲です。
2本のクリーンなギターによるアルペジオが絡み合うイントロから「Sertonin tail」は始まります。
2本のギターとボーカルが触れてしまえば壊れそうな清らかな音を奏で、そこに清らかなリズムを増幅させるドラムと、音の連関を壊さないように支えるシンプルなベースが入ってきます。
この清らかな音の終わりは唐突で、2本のギターは歪みながら絡み合い明瞭な緩急を奏でて白い音の壁が立ち上げます。ここに、複雑性を持った切なさが表現されます。そして、音の壁は余韻を残しながら消え、再び絡み合うクリーンな2本のギターが奏でられ、サビへと突入。
サビではギターが快いノイズを持ちながら美しい旋律を奏で、体がつい横に揺れてしまう抒情性がもたらされます。
ここでもたらされた抒情性は、静かで切ないアルペジオによって消化されます。
消化された物悲しさは、轟音として昇華し、すべての鬱屈を飲み込むような真っ白な音の怒涛をもたらし、楽曲全体に漂っていた静かな美しさに輝きをもたらします。
そして、「Serotonin tail」はこの輝きを余韻として残しながら終わります。
清らかで美しいクリーンなサウンドと、その美しさにざらつきという触覚を与える轟音が入り混じった「Serotonin tail」では、衝動を持ちながらもついにはそれを実現できなかった切ない痛みが描き出されています。
一目見たときに、その瞬間に抱いた鮮烈なる衝動。 疑いようのない真実は感情を動かすが、体まで動かさなかった。 信じられると思った人にも、衝動がもたらした言葉は訝しくて恥ずかしくて紡げなかった。 そうして、その人が離れたとき、自分自身への嘘が孤独と後悔という毒として精神に回り続けた。 人を信じられないがために、孤独に対する防衛策のために、衝動を理性によって抑え込んでしまったための傷と痛み。
「Serotonin tail」では、そんな誰もが感じたことがあると思われる痛みを美しく描き切っています。
https://youtu.be/Rf7vZWUucpE?si=fLkt2-86dbrXtY2A
道先案内
「LAMB’S END」は、心に痛みを抱え、理性を信じることができなくなってしまった人の初期衝動を真っすぐ描き切っています。
楽曲は淡い抒情性を持ちながら、すべてを破壊するような激情性も有しています。この2つの性格を持つ音が絡み合った「LAMB’S END」の楽曲では、割り切ることができない人間精神の複雑性が表現されています。
そして、そんな複雑性を有していながらも、楽曲は非常に聴きやすく、純粋に美しいと思えます。
ぜひ、「LAMB’S END」を聴いてみてください!
https://www.youtube.com/@THE_LAMBSEND
https://open.spotify.com/artist/5JocaTWKC7PGMHOuLNYddk
https://music.apple.com/jp/artist/lambs-end/1884212434